2007年12月30日

フランクフルト・高原を獲得?

 個人的には、このニュース、大歓迎だ。
FWの頭数が多過ぎるという意見もあるとは思うが、
浦和は、世界で戦うレベルに達する必要がある。
まだまだ選手層は薄い。
これからは、Jリーグを基準にしてはいけない。
もっと貪欲な補強を繰り返すべきだと私は考えている。
 エジミウソン・達也・永井・小池・セルヒオ、
このFW陣に高原が加わる。
悪くはないだろう。
 また、高原は(以前)インタビューの中で、
小学生の頃からライバル関係にある小野伸二と
「同じチームでプレーしたい」と発言していた。
このコンビは、なかなか面白いのではないか。
お年玉に期待したい。

盛り下がる天皇杯

 すっかり興味から外れている天皇杯の準決勝が、
昨日、あったらしい。
結局、決勝戦は広島と鹿島の対戦になるようだ。
どうでも構わないが、
レベル的に釣り合いが取れて良かったのではないか。
 世間一般的にも、天皇杯は人気がない。
昨日も、国立は22,457人、エコパは6,128人。
実に寒々しい数字だ。
 毎年同じことを繰り返しているが、
この時期に開催しても、大会の価値は下がる一方である。
本気で戦うクラブが少ないし、
怪我をしている選手は休みたいし、
来季の所属先が決まらない選手も少なくないし、
クリスマスの時期には外人選手が帰国してしまう。
 一応、アジアに、そして世界につながる大会なのに、
すべてが中途半端である。
ショボ過ぎる。

2007年12月18日

引越しの理由

なぜ、ブログを移転することにしたのか、
第一の理由は、アメブロが窮屈になってきたからだ。
最初は手頃感があったが、段々と余計な機能がついてきて
苛立つことが多くなった。
典型的なB型気質なので、
作り上げたデザインを崩されるのは心地良くなかった。
第二の理由は、メンテナンスの頻度だ。
回数が多過ぎるし、時間が時間が長過ぎる。
書きたい時に書けないのはマイナスだった。
第三の理由は、これは私自身の問題だが、
自分なりのペースが乱れてしまったことだ。
ランキングがあることで、負けず嫌いな性格が刺激され、
無闇に記事を乱発したり、
常連さんのウケを狙う傾向が出てきた。
正直、最近の記事は面白みに欠けると思うようになった。

そんな理由からリスタートがしたくなった。
ただ、それだけだ。

2007年12月2日

選手は頑張ってくれたと思う

 昨日の試合が終わって、私は選手たちに拍手をした。
試合の内容には満足していないが、
選手は頑張ってくれたと思うし、一年間の労をねぎらう意味もあった。

言いたいことは山ほどある。

でも、ブーイングをするのは、ちょっと違うと感じた。
あれがリアルな浦和レッズなのだ。
今は、そう思うしかない。

我々は、アジアを制することが出来た。
それで満足か…?
もっと先がある。
私は、そう考えている。

まだまだ夢の途中、
来季は、もっと強くなれば良い。

2007年11月25日

南の並び

 鹿島戦、ホーム最終戦ということで、
いつもより早めに並ぶ。
早朝4時半に家を出たが、すでに20番目くらいだった。
前のほうの人の話を聞くと、前夜からシートを張っていたという。
大切な試合の時は、
それくらいの時間帯を意識しなければならないようだ。
 基本的に、並びが過剰になることは本意ではない。
しかし、ホーム最終戦は、試合後に選手がスタンドの前を一周する。
それだけの人たちが前列に殺到する。
ある程度、こういう人たちを制さないとサポートの体制が整わない。
最前列が座ってしまったら、後ろは立つタイミングを失う。
南も躍らなければ、最強のホームは実現しない。

2007年11月17日

1114 忘備録

 浦和レッズがアジアの頂点に立った日、
11月14日は、久し振りに早朝からの並びで一日が始まった。
どうしても南の最前列を確保したかったので、
まだ、日も昇らない6時前にスタジアムに着いた。
 7時の列整理を終え、カミサンの差し入れで朝食。
しばらくは何もやることがない。
 9時過ぎに、南緩衝地帯で優勝決定後に使う
紙テープと風船の搬入を手伝う。
しかし、連絡が上手く取り合えず、スタジアムの敷地内を右往左往した。
久々に、いい運動をした。 (-。-;)
紙テープと風船ならチョットした荷物という感じだが、
紙テープは5000個、風船は3000個となると、大きな段ボール箱5個分。
重さも相当ある。
ちなみに、これらは個人レベルのサポーター有志のカンパで購入し、
紙テープは、すべて芯を抜いた。
そして、配りやすいように小分けまでしてある。
誰かが「やろう!」と言えば、それに応える人たちがいる。
これが浦和レッズの凄さだと思う。
 本当は、10時からのビジュアルの準備に加わろうと思っていたが、
紙タープと風船の搬入に手間取り、機を逸してしまった。
また何もすることがなくなった。
仲間数人と、南門広場でビールを飲みながら歓談する。
 開門前に、段ボール箱を柵の内側に移動した。
並びの列に置き去りでは邪魔になるので、事前に予定していた行動だ。
運営とも話がついているので、順調に作業は進行する。
 そして、太鼓を叩きながら「赤き血のイレブン」を歌って入場。
南では異例の光景だから、やや引き気味の人も少なくはなかった。
入場の流れが一段落したところで、荷物を222ゲートまで移動する。
 その後、私は「手拍子幕」の前で、しばらく声かけを手伝う。
しかし、南の様子が気になり、スタンドに戻る。
いつもより活気はあるが、本当にサポートをしてくれるのか、不安が残る。
 この日は、南緩衝地帯の大旗2本と共に、私も最前列に出た。
当然だが、我々は過剰な大量席取りはしない。
 試合開始前、北の動きを見て、南でも全員が立ち上がり、両脇の人と手を繋ぐ。
このムードのままでキックオフ、南も総立ちだ。
前半、浦和は南のゴールに向かって攻めてくる。
南の意気込みが伝われば、選手たちも奮うはずである。
 永井の先制ゴールが決まった。
普段はクールな男が、
表情を崩し、激しいポーズで南ゴール裏を一気に駆け抜けた。
スタンドとピッチが繋がっている。
そう実感した。
 ちなみに、紙テープと風船は優勝が決まった後に使う。
選手が挨拶に来た時に、南の太鼓を合図に紙テープを投げる段取りだ。
優勝しないと、5個の段ボール箱は持ち帰らなければならない。
 幸い試合は、2−0で終了。
あの悲しいくらい弱かった浦和レッズが、アジアの頂点に立った。
正直なところ、達成感はあるものの、喜びが湧かない。
 ホイッスルと共に、有志の面々が動き出す。
紙テープと風船を配り、段取りを説明する。
表彰式が終るまでに体勢を整えなければならないのだ。
ところが、その表彰式がスローな展開。 準備は完了。
目論み通り、
選手たちを赤い風船で向かえ、挨拶の際に赤い紙テープが投げられた。
 浦和の勝ち試合は、盛り上がりが延々と続く、
昨季のリーグ優勝時に続き、ワシントンが北ゴール裏に乱入(?)した。
いろいろあって、やっと「WE ARE DIAMONDS」を歌う。
この頃になって、喜びがジワジワと湧いてきた。
思えば、昔は歌いたくても年に数度しか歌えなかった。
毎週、タオルマフラーを掲げられるようになった我々は、やはり幸せである。
 そして、撤収。
周囲に落ちている風船・紙テープを回収する。
これで長い一日が終わった。

忘れる訳ないけど、一応「忘備録」として、まとめてみた。

2007年9月23日

引越し準備中

ここが移転先の候補です。
(^_^)

2007年1月17日

メッセージは、直接どうぞ

 私は、メールアドレスを公開している。
伝えたいことがある方は、遠慮などする必要はない。
連絡は、以下までいただけると幸いだ。

reds_nut@mac.com

私的なブログなので…

 このブログ「浦和三昧」は、
浦和レッズのサポーターである私(カズボー)が私的に運営している。
ただ思いつくままに個人の意見を記している独り言のようなものだ。
気に障るような内容だと思ったら、
無理に読んでいただかなくても構わない。
勿論、贔屓にしてくれる方は歓迎する。

当然ながら、編集権は私自身が持っている。
悪しからず。

2007年1月7日

我々はグループではない

私は「ノースフロント」という活動に参加している。
基本的に、浦議SNSのコミュニティをベースにしているが、
いわゆる「グループ」とか「チーム」の類いではない。
一つの「理念」を共有する個人サポーターの集合体なのだ。
だから、特定のリーダーが存在しない。
サポートスタイルの多様性も認めているし、
年齢・性別・観戦歴による差別もない。
煽りや強要もしていない。
かなり柔軟な集団である。

興味のある方は、
気軽に声を掛けて欲しい。

2007年1月5日

地の利を活かす

 ご存知の通り、埼玉スタジアムはサッカー専用スタジアムである。
選手と観客の距離も横浜のハコモノなどとは比べ物にならないほど近い。
ゴール裏の最前列からなら、選手と会話が出来るくらいの距離感なのだ。
私は人一倍、声がデカイ。
私のようなサポが前列を占めれば、
浦和の選手たちに熱い気持ちを伝えることが出来るだろう。
 サポートというものは、一つのパターンだけでは面白味がない。
デカ旗などのビジュアル的なパフォーマンスも有効だし、
いわゆる「中心」のような統率のとれた集団的な熱気も欠かせない。
私は、さらに前列からの「迫力」を加えられると良いのではないかと考えている。
浦和の選手を盛上げ、相手の選手に圧力をかける。
そんな役割を果たしたい。
その意味で、積極的なサポートをしない人たちには
ゴール裏から他の場所に移動して頂くことを希望している。

参戦

 浦和レッズのサポーターの中には、
スタジアムに行くことを「参戦」と表現する人たちが多い。
戦いに参加するという意気込みは素晴らしいと思うが、
勢い余って、積極的なサポートが「参戦」で、
大人しくマイペースなサポートを「観戦」とする風潮がある。
私は、サポートとは、スタジアムが一丸となって行なうものという認識を持っている。
いわゆる「棲み分け」が出来ていないことが、
話を複雑にしているような気がしないでもないが、
あえてボーダーラインを設けるような言葉遣いはしたくない。
 また、実際に戦うのは選手であり、我々のやるべきことは選手を支えることである。
この「初心」を忘れてしまっては、本末転倒だと心得ている。
そんな理由から、あまり「参戦」という言葉は使う気になれない。

駒場では「西」に陣取る

 埼玉スタジアムでは、
昨季までの「北」前段から、今季は「南」緩衝地帯に移った私だが、
駒場では、「西」を定位置にしている。

 あまり試合に行けない時期があり、
遅れてスタジアムに入ることが多かった私には、
「西」のほうが好都合だった。
とにかく居心地が良かった。
この数年の「西」の廃れ具合は気になるが、
今後も試合が開催される限り、ここを拠点としようと思う。

オークションに対する見解

 浦和のサポーターの中には、オークションを毛嫌いする人が多いが、
私は、あまり否定的ではない。
人気のあるチケットの価値(値段)が上がるのは、
仕方がないことだと考えている。
基本的に、私は絶対に欲しいチケットが手に入るのなら、
定価の数倍でも躊躇なく購入することがある。
それが悪いことだとは思わない。
ただし、現状のオークションには問題点があるのも事実である。
いわゆる「チケットゲッター」の存在だ。
しかし、私は、彼らには特別な感情を持たない。
むしろ「ぴあ」などのチケット業者に憤りを感じている。
そもそも業者が彼らにチケットを安易に、しかも大量に売ってしまうから、
簡単に儲かる転売という仕事が成立してしまうのである。
本当に欲しい人に売るという誠意があれば、何も問題は生じないはずだ。

コールリーダー

 率直に言うが、私はコールリーダーが好きではない。
特定の誰かが嫌いと言う訳ではなく、
システムとして違和感を覚えるのだ。
 理想論かも知れないが、
サポートは「自然発生」がベストだと考えている。
誰かに指示されるべきではない。
勿論、現状ではコールリーダーがいなければ、
浦和らしいサポートは実現しない。
それは十分に承知している。
しかし、私は遠くを見つめてしまう。

基本的に、クラブ優先

 私の基本スタンスは、クラブが最優先である。
つまり、まず第一に浦和レッズが存在する。
選手たちが「代表」として、
日の丸を背負ってプレーすることは名誉なことだとは思うが、
日本代表は、クラブの後にあるものという強い認識を持っている。

2007年1月1日

アウトドアも好きだ

 私とカミサンは、浦和レッズを愛しているが、ほかにも趣味がある。
それは、アウトドアを楽しむことだ。
年に何度かはキャンプに出掛け、年に何度かはBBQをする。
気楽に外で遊ぶことが好きだ。

 幸か不幸か、この数年、浦和の試合数が増えていることで、
アウトドアを楽しむ機会は減りつつあるが、
長く続けたい趣味だと考えている。

スタジアムに行けなかった時期

 私には、なかなかスタジアムに行けない時期があった。
試合がある日(主に土日)に仕事が入ってしまうことが重なり、
どうにもならなかった。
仕事柄、代役が利かないため、辛い思いをしたことがある。

 当時は「駒場」の時代だった。
チケットを買っても行けない場合がある。
チケットを無駄にするなら、他の誰かにサポートしてもらいたい。
そう考えると、チケットの入手さえ二の足を踏んでしまう。
不幸な時代だった。

 そんな事情から、
私には特定のグループに属するキッカケはなく、基本的にはピンだ。
スタジアムに行けること自体がラッキーなことだったので、
なんとなく、1人でいるほうが気が楽だった。

ギョーカイ人

 私は、テレビ関係の仕事に就いている。
職種は、具体的には説明しにくいが、音響系のエンジニアである。
気がつくと、
すでに20年以上も狭いギョーカイに住んでいたりする。

 制作側の人間ではないし、体制派でもないので、
いわゆる「大手マスコミ」を冷ややかな眼で見ている。
根本的に、長いものに巻かれるタイプではない。

東川口在住

 私たち夫婦は、東川口に新居を構えた。
当初は、駒場スタジアム周辺の物件を探してみたが、
2002年と言えば、日韓W杯が開催され、
埼玉スタジアムが
本格的に使用されるようになった年である。
「これからは、ここがホームだ」
そう考えて、かなり寂しいロケーションを選んだ。

 マンションの脇に流れる川の土手に上れば、
そのホームが望める。
環境としては、申し分ない。
ちなみに、バスに乗れば、30分弱で駒場にも移動できる。

カミサンもサポーター

 私とカミサンは、2002年に結婚した。
彼女も「同志」で、サポーターである。
浦和レッズの赤い糸で結ばれたという次第だ。
結婚以来、
我々は夫婦揃ってスタジアムに通っている。

はじめまして

 とりあえず、自己紹介をしておこう。
私は、スタジアムでは「カズボー」を名乗っている。
子供の頃、近所の人たちに呼ばれていた愛称である。
ブログやSNSで使っている写真も当時のものだ。
当時のように
無邪気な気持ちでサポートをしたいと思っている。

私は1965年生まれの巳年で、かなり執念深いオヤジだ。
一応、結婚はしているが、子供はいない。
旧浦和市ではないが、その界隈で生まれ育った。
Jリーグ元年から、浦和レッズのサポートをしている。
ヨロシクです。