2007年11月25日

南の並び

 鹿島戦、ホーム最終戦ということで、
いつもより早めに並ぶ。
早朝4時半に家を出たが、すでに20番目くらいだった。
前のほうの人の話を聞くと、前夜からシートを張っていたという。
大切な試合の時は、
それくらいの時間帯を意識しなければならないようだ。
 基本的に、並びが過剰になることは本意ではない。
しかし、ホーム最終戦は、試合後に選手がスタンドの前を一周する。
それだけの人たちが前列に殺到する。
ある程度、こういう人たちを制さないとサポートの体制が整わない。
最前列が座ってしまったら、後ろは立つタイミングを失う。
南も躍らなければ、最強のホームは実現しない。

2007年11月17日

1114 忘備録

 浦和レッズがアジアの頂点に立った日、
11月14日は、久し振りに早朝からの並びで一日が始まった。
どうしても南の最前列を確保したかったので、
まだ、日も昇らない6時前にスタジアムに着いた。
 7時の列整理を終え、カミサンの差し入れで朝食。
しばらくは何もやることがない。
 9時過ぎに、南緩衝地帯で優勝決定後に使う
紙テープと風船の搬入を手伝う。
しかし、連絡が上手く取り合えず、スタジアムの敷地内を右往左往した。
久々に、いい運動をした。 (-。-;)
紙テープと風船ならチョットした荷物という感じだが、
紙テープは5000個、風船は3000個となると、大きな段ボール箱5個分。
重さも相当ある。
ちなみに、これらは個人レベルのサポーター有志のカンパで購入し、
紙テープは、すべて芯を抜いた。
そして、配りやすいように小分けまでしてある。
誰かが「やろう!」と言えば、それに応える人たちがいる。
これが浦和レッズの凄さだと思う。
 本当は、10時からのビジュアルの準備に加わろうと思っていたが、
紙タープと風船の搬入に手間取り、機を逸してしまった。
また何もすることがなくなった。
仲間数人と、南門広場でビールを飲みながら歓談する。
 開門前に、段ボール箱を柵の内側に移動した。
並びの列に置き去りでは邪魔になるので、事前に予定していた行動だ。
運営とも話がついているので、順調に作業は進行する。
 そして、太鼓を叩きながら「赤き血のイレブン」を歌って入場。
南では異例の光景だから、やや引き気味の人も少なくはなかった。
入場の流れが一段落したところで、荷物を222ゲートまで移動する。
 その後、私は「手拍子幕」の前で、しばらく声かけを手伝う。
しかし、南の様子が気になり、スタンドに戻る。
いつもより活気はあるが、本当にサポートをしてくれるのか、不安が残る。
 この日は、南緩衝地帯の大旗2本と共に、私も最前列に出た。
当然だが、我々は過剰な大量席取りはしない。
 試合開始前、北の動きを見て、南でも全員が立ち上がり、両脇の人と手を繋ぐ。
このムードのままでキックオフ、南も総立ちだ。
前半、浦和は南のゴールに向かって攻めてくる。
南の意気込みが伝われば、選手たちも奮うはずである。
 永井の先制ゴールが決まった。
普段はクールな男が、
表情を崩し、激しいポーズで南ゴール裏を一気に駆け抜けた。
スタンドとピッチが繋がっている。
そう実感した。
 ちなみに、紙テープと風船は優勝が決まった後に使う。
選手が挨拶に来た時に、南の太鼓を合図に紙テープを投げる段取りだ。
優勝しないと、5個の段ボール箱は持ち帰らなければならない。
 幸い試合は、2−0で終了。
あの悲しいくらい弱かった浦和レッズが、アジアの頂点に立った。
正直なところ、達成感はあるものの、喜びが湧かない。
 ホイッスルと共に、有志の面々が動き出す。
紙テープと風船を配り、段取りを説明する。
表彰式が終るまでに体勢を整えなければならないのだ。
ところが、その表彰式がスローな展開。 準備は完了。
目論み通り、
選手たちを赤い風船で向かえ、挨拶の際に赤い紙テープが投げられた。
 浦和の勝ち試合は、盛り上がりが延々と続く、
昨季のリーグ優勝時に続き、ワシントンが北ゴール裏に乱入(?)した。
いろいろあって、やっと「WE ARE DIAMONDS」を歌う。
この頃になって、喜びがジワジワと湧いてきた。
思えば、昔は歌いたくても年に数度しか歌えなかった。
毎週、タオルマフラーを掲げられるようになった我々は、やはり幸せである。
 そして、撤収。
周囲に落ちている風船・紙テープを回収する。
これで長い一日が終わった。

忘れる訳ないけど、一応「忘備録」として、まとめてみた。